運動クラブが全国的に活躍する一方、文化クラブも同様に良い成績を挙げていた。浜松は戦前から商業が発達し、これと関係の深い珠算が盛んであった。浜松商業学校では明治時代から珠算競技会が開かれており、昭和に入ると全国大会で何回か団体優勝を飾っていた。戦後の昭和二十五年、浜松商業高等学校は第五回全国珠算競技大会で早くも団体優勝を果たした。以後、昭和三十二年に至るまでほぼ毎年のように団体優勝を続けた。特に専修大学主催の全国高等学校珠算競技大会では、昭和二十七年から三年連続で団体優勝を飾っている。一方、興誠高等学校の珠算部も昭和二十四年の第二回全国珠算競技大会で団体優勝を飾り、同三十三年の全国高等学校珠算競技大会では団体第三位に入っている。また、浜松女子商業高等学校の珠算部も昭和二十年代から三十年代にかけて全国大会で個人優勝を果たしたり、団体で二位、三位を獲得している。浜松西高校の生物クラブは田中亮三の良き指導を得て昆虫などの研究に当たり、鈴木梅太郎賞をはじめ多くの科学賞を取った。中でも、昭和三十三年八月に水窪町の戸中山で採集したウンカは新品種であることが分かり、学校名をとって「ハマニシハネナガウンカ」と命名され、話題となった。
図3-31 ハマニシハネナガウンカの発見