[浜松短期大学の開学]

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【浜松短期大学 内田旭 坂田啓造 岡野徳右ヱ門】
 昭和二十五年九月に興誠(浜松)商科短期大学の設立趣意書(『新編史料編五』 三教育 史料70)が各方面に配られた。それによると、この地方の高校の卒業生が商科大学に学びたくても、この地には学校がなく、他国に遊学しなければならないという欠点を除きたいこと、青年に文化的教養と実用的能力を高めることなどを目的に商科の短期大学を設立したいと記されている。趣意書の終わりの所に「平く申せば確かであつて間に合う青年を作ることであります。」と書かれている。同年九月三十日に設置認可を申請したところ、二十六年二月二十七日に設立が認可された。そして同年四月一日に浜松短期大学(修業年限二年)が開学した。学長は郷土史家の内田旭、教授にはベテランを起用、講師には浜松出身の金原賢之助や浜松在住の谷口健康、水野欣三郎などをそろえた。しばらくの間は興誠高等学校の校舎などを使用していたが、昭和三十三年に鉄筋三階建ての本館と木造二階建ての研究室棟、学生ホールなどが完成した。この間、昭和二十七年七月から大学名を浜松商科短期大学と改称、昭和二十八年から学長は元市長の坂田啓造が、同三十年から岡野徳右ヱ門が務めた。第二回卒業生の一人は創立五十周年記念誌『興誠』に「中部学生経営学研究会に加盟し、名大、愛大、名城大、南山大など四年制大学と全く対等の立場で研究発表会を行なってきました。『2年間で4年分学ぼう』が合言葉でした。」と記している。卒業生の多くは地元の中小企業の経営者になったり、流通、商業、金融機関等で活躍している。