[公民館の活動]

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【公民館 中ノ町公民館 庄内中央公民館】
 多くの市町村では戦災学校の復興や新制中学校の建設に追われ、公民館にまで手が出せなかった。このようななか、村櫛村は昭和二十六年から工費約五百万円を投じて、村の中央に事務室・応接室・大ホール・ステージ・映写室・大小会議室・日本間等を備えた木造平屋百六十七坪の建物を新築し、さらに二十八坪の図書室を整備して、社会教育の拠点としての独立公民館を建設した。そして、昭和二十七年二月一日に落成式を迎えた。これだけの規模の公民館は西遠地方では初めてで、県内でも指折りの施設となった。また、公民館の組織は教養部(青年学級・婦人学級・成人講座の開設)、図書部(図書や雑誌の閲覧や貸出、公民館報の発行など)、産業部(産業一般の研究と調査、展示会や品評会の開催)、文化部(講演会・映写会・展覧会・体育会の実施)の四部制であったが、これは昭和二十一年七月の文部次官通牒にある公民館の編成基準とほぼ同様(初めは文部次官通牒の通り集会部としていたが、後に村櫛村ではこれを文化部と改称)である。昭和二十七年四月から十二月までの九カ月で公民館の利用者は三万四千五百十二人となり、当時の人口が三千八百六十二人であったので、単純に計算すれば一人が九カ月で九回も利用したことになる。図書室の蔵書は三千六百冊余で、村民一人当たり約一冊、利用状況は村民一人当たり約二・五冊であった。浜名郡中ノ町村では昭和二十二年以来、消防団・青年団・婦人会が公民館の建設を村当局に要望、ついに村民八百名が連署して議会に建設を要請した。当時の年間村予算は二千六百万円、豊かな財政とは言えなかったが、七百七十余万円を捻出して公民館の建設に着手、村櫛村から一年十カ月遅れたが、昭和二十八年十二月に定員七百名を収容できる大ホール・事務室・図書室・会議室・文化室・礼法室・講座室など、総建坪二百四十坪の県下随一の公民館を建設した。この新装なった中ノ町公民館で、昭和二十九年一月二十一日に静岡県公民館大会が開催された。斉藤知事や岡野教育長列席の下に文部省社会教育官の瀧本邦彦が「地域社会と公民館」と題して講演し、続いて多くの研究発表などが行われた。県下各地からの参会者は六百名を数えた。昭和二十九年九月に引佐郡都田村に出来た公民館も見事なもので、村の文化センターとしての役割を果たした。これほど大きくはなかったが、和地村や伊佐見村でも公民館が建設された。特に伊佐見村では昭和二十七年から四カ年で村内の六地区すべてに公民館を建設した。このように農村部において公民館活動が活発になったが、特に村櫛村の公民館の活動は四部が有機的に協力し合って、真の地域住民のものとして活発な活動をしていた。これが評価されて、昭和三十年十一月三日に庄内中央公民館(村櫛村は庄内三村の合併により庄内村となり、公民館名は庄内中央公民館と改称)は優良公民館として文部大臣賞の栄誉に輝いた。