[成人学校の開催]

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【成人学校】
 日本で初めて成人学校を開いたのは川崎市で、昭和二十四年九月のことであった。これは大変な評判を呼び、翌年には東京都のほか多くの所で開催されるようになった。浜松市で第一回の成人学校が開かれたのは昭和二十七年六月十六日であった。この成人学校は戦後の都市における社会教育の主要な柱となったもので、「学ばんとするすべての人々の為に」という趣旨の下に、その勉強する機会と場所を提供するものであった。一日の勤労を終えた夕刻に生活文化の向上と職業上の技術を習得するとともに、教養の向上や情操の純化を図るのが目的であった。浜松市では浜松市立高校・元城小学校・南部中学校・東部中学校の四会場で講座を開催した。科目は料理・洋裁・華道・染色・音楽・書道などのほか、時代を反映した自動車技術・ラジオ技術・簿記・英語・映画研究など十六の多きを数えた。このうち、最も人気があったのは自動車技術で、三十九歳の市議会議員は「自動車の運転位出来ねばと思い率先受講しました」と、四十九歳の教育事務所長は「各町村の学校を回るため、教育事務所にも小型自動車が備えつけられました、自分で運転してみたいので…」と受講の理由を語っていた。また、花嫁修業で自動車運転を修得し、ご夫君にサービスしようという二十二歳の女性もいた(『静岡新聞』昭和二十七年六月十九日付)。成人学校は毎週二回、一回は二時間で、六週間(十二回)で終了することになっていた。第一回の成人学校は受講者数が九百二十三人、出席回数が多く、修了証書を受けた者は五百八十八人、皆勤は二百六十三人であった。昭和二十九年六月からの第四回成人学校では、自動車技術が定員の六倍、料理は定員の五倍という人気ぶりで、全講座で八割余りが皆出席であった。同年八月からの第五回成人学校で、抽選制をやめたため、午前六時ごろから受講希望者が行列をつくるほどの人気があった。自動車技術はその後も人気のトップを占めていた。

表3-11 成人学校の科目と受講者数
出典:『広報はままつ』第一号