[図書館と移動文化館]

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【日米文化センター】
 戦後の図書館は書籍や雑誌の閲覧にとどまらず、先述のようにレコードコンサートや映画会、展覧会などを次々に開催していった。映画は当時大衆娯楽の頂点にあり、毎日邦画や洋画を見ることが出来たが、短編の文化映画は映画館では上映されることは少なかった。図書館では県の視聴覚ライブラリーや日米文化センターから多くの文化映画を借りてきて上映するようになった。また、児童閲覧室でも子どもの集いがたびたび開かれ、紙芝居や人形劇・幻灯・お話会などが行われた。さらに、当時は美術館や博物館がなかったため、美術展・華道展・書き初め展・写真展・志戸呂焼展など様々な催し物が開催された。また、伊場遺跡で出土した土器も図書館に陳列されていた。
 
【巡回文庫】
 浜松市は昭和二十六年三月に五島村・河輪村・新津村の三カ村を合併した。これにより市域は拡大し、図書館の遠方へのサービスが課題となった。翌二十七年三月に開催された図書館協議会において、周辺地区に巡回文庫などを考えてほしいとの意見が出された。これを受けて図書館は七月十六日に高林町の少林寺で初めて巡回文庫を実施した。高林町に続いて、葵町開拓婦人会、浜松赤十字病院、東陽興業株式会社などへも巡回文庫が行くようになった。当時の巡回文庫は図書館より四キロ以上の地域であることが条件で、一団体あたり五十冊を貸し出した。
 
【自動車図書館 移動文化館】
 昭和二十八年九月に町村合併促進法が公布されると、全国で大規模な町村合併が行われた。浜松市では昭和二十九年から同三十二年三月までに周辺の十一カ町村を合併し、市域はこれまでの二・六倍にもなった。これにより、浜松市は自動車文庫を新設し、周辺地域へも図書館サービスを開始することにした。ただ、当時は図書館が整理事務に追われていたため、自動車文庫の運営は社会教育課が担当することになった。同年の暮れに書籍専用車を県から譲り受け、昭和三十三年一月から都田・三方原・神久呂・積志・笠井・和田・芳川・五島などの周辺部へ配本所を設置し、〝自動車図書館〟を走らせた。これは、ただ単に書籍を置きに行くということだけではなく映画会や読書会の開催、さらには青年・婦人学級と連携しての活動も行われ、移動文化館という名称が付けられた。

図3-33 浜松市移動文化館

 
【浜松読書文化協力会】
 図書館には図書館協議会が置かれ、五人の委員から図書館の在り方について様々な提案がなされるようになった。また、図書館の後援団体として浜松読書文化協力会が昭和二十六年に誕生した。この会では図書館で購入する書籍代や行事の開催などに要する費用の負担、展覧会の開催など、様々な活動を行い、開館後の図書館を支えた。