【浜名湾游泳協会 浜名湾高校水上大会 浜名湾シンクロナイズドスイミングチーム】
浜名湾游泳協会は大正五年(一九一六)八月に設立され、戦前は多くのオリンピック選手を育て、特に宮崎康二や寺田登はオリンピックゴールドメダリストとなった。戦後になっても世界新記録を何度も塗り変えた古橋広之進や倉橋範彦などの有名選手を輩出し、日本水泳界を常にリードしてきた。昭和二十四年八月に浜名湾游泳協会などが主催した浜名湾新制中学校水上大会では伊佐見中学校の山下勝次が八百メートル自由型で新制中学校の日本新記録を出した。山下は後に浜松北高、早稲田大学に進み、世界的な選手に育った。浜名湾高校水上大会は昭和二十五年から開催され、県内の高校はもとより、愛知の中京・淑徳・椙山など水泳の名門校も出場するようになった。昭和二十九年の大会における学校別の成績は、男子は中京、浜松北、浜松西の順、女子は愛知淑徳、椙山、浜松市立の順であった。浜名湾高校水上大会は設備の整った浜松市営プールで行われ、その水準の高さから神奈川県の法政二高も出場するようになった。浜名湾游泳協会は昭和二十八年八月七日に米国の女子シンクロナイズドスイミングのチームを浜松に招いて演技を公開した。これがきっかけで浜名湾シンクロナイズドスイミングチームが誕生し、国体や第二回アジア大会で見事な演技を披露した。また、浜松市立高校には昭和三十二年にシンクロナイズドスイミングのチームが誕生している。