【養神館 浜松剣道連盟】
戦後はGHQにより一時柔剣道が禁止されたが、中学校以上の学校では昭和二十六年四月に再開されることになった。これにより、学校では柔道部が誕生するようになった。戦前に養神館という柔道場を持ち、柔道の普及に努めていた佐藤五八郎は、昭和二十九年三月十四日に利町の浜松市議事堂跡(今の復興記念館の北側)に六十畳敷きの稽古場を持つ養神館を新築し、柔道の発展に尽くした。浜松北高で剣道(竹刀)が復活したのは昭和二十八年、翌年には晴れて剣道部となった。浜松剣道連盟の剣道場が養神館の南側に出来たのは昭和三十二年のことであった。このほか弓道などの武道も盛んになった。