ソフトボール

635 ~ 635 / 900ページ
【サンドスキー場】
 野球以外の球技もサッカー・ラグビー・バレーボール・卓球・テニス・バスケットボールなどあらゆるスポーツが盛んになり、これをまとめる団体(連盟)が相次いで結成された。昭和三十年ごろは実業団の女子バレーが盛んで、東洋紡浜松は地元の高校から選手を集めて強くなり、富士紡鷲津と並んで県下の双璧とうたわれ、全日本バレー大会に出場するほどになった。男子の野球熱に刺激されて高等女学校にソフトボールのクラブが誕生したのは昭和二十一年であった。ソフトボールは戦後にアメリカから導入され、〝女の野球〟と揶揄(やゆ)されたが、浜松市立高校や誠心高校は県下の強豪となり、特に市立高校は昭和三十二年の国体に出場、同三十四年には全国高校女子ソフトボール大会で第三位に入る活躍を見せた。ゴルフは地元にゴルフ場はなく、練習場も皆無であった。ゴルフ関係者の努力でオートレース場の中にゴルフ練習場が開場したのは昭和三十四年四月一日のことであった。中田島砂丘にサンドスキー場が出来てサンドスキーが楽しめるようになったのは昭和三十三年七月、ただこれはスポーツとは言えず、中田島でのお遊びであった。