[敬神生活の意味]

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【瑞穂神社】
 次に紹介するのは地域住民による神社誕生への熱意を伝える報道記事である(『静岡新聞』昭和二十六年十月九日付)。それは戦後、海外からの引揚者などが入植した葵町の旧飛行隊跡地には三百七十八戸、千八百七十六人の手で開拓がなされてきた。報道記事の時点で早くも開拓予定地の八十%に当たる四百二十町が開墾され、自家揚水による水田や灌漑(かんがい)施設も完成した。これを契機に開拓組合員は感謝の意を込めて開拓地の中心に、その名もゆかしい瑞穂神社を建設し、鎮座祭を執行したという。まさに農業生活を支える信仰心の根元を示しているものであり、三方原開拓という戦後引揚者などの苦闘を昇華させる歴史的一事であったろう。
 
【平和条約発効】
 昭和二十七年四月二十八日の平和条約発効により、独立国家としての主権を回復して占領体制から解放されたことを契機に、日本国憲法下の政教分離、信教の自由を前提にしながらも、宗教・思想・教育の分野でわき起こった動向には、戦前への回帰を憧憬し、紀元節奉祝を標榜する運動がある。
 昭和二十三年七月、国民の祝日に関する法律が決められたが、旧紀元節はなかった。独立後に改めてこの問題が政治問題化した。旧紀元節には学問的根拠が無く、戦前の超国家主義への反省と軍国主義の復活に通じることを危惧して反対運動も激化した。しかし、十度目の国会上程によって、昭和四十一年に国民の祝日に関する法律を改正し、法律では月日を決めずに建国記念の日が制定された。その半年後、政令で二月十一日を決定し、同四十二年から実施されている。浜松市域では同三十三年二月十一日付で紀元節奉祝会浜松地方国民大会の開催要旨が発せられている(『新編史料編五』 四宗教 史料38)。