[経済団体の発足]

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【遠州経済新人会 浜松経済クラブ】
 戦後の産業復興とともに、様々な経済団体が結成されていった。昭和二十一年十月、浜松商工会議所が発会(設立)されると、その翌年、二十代から三十代の若手経済人によって遠州経済新人会が結成された。地域の経済復興に意欲を持つ若手の経済人が集まり、経済論議を交わす場となった。こうした活動の延長線上で、昭和二十四年十二月、遠州経済懇友会を発足させ、より広い分野から若手経済人を結集させることになった。懇友会の設立趣旨は「郷土遠州地方の商工業など各産業界全般にわたる経済特殊事情を研究し、相互に知識の啓発を進め、遠州経済界復興への推進力となろう」というものであった。その後、昭和二十六年に浜松青年会議所が発足したため、懇友会は、二十七年九月に名称を浜松青年経済クラブと改称し、特に子弟教育に力を注いだ。クラブ会員が講師となって市内の中学校で社会科講話を開講し、浜松の歴史や産業について授業を行った。同クラブは昭和三十年六月に、名称を浜松経済クラブに変更し現在に至っている。
 
【浜松青年会議所】
 昭和二十六年二月、中央に日本青年会議所が設立されると、これに呼応して浜松でも同年二月二十一日浜松青年会議所が発足した。その目的は「社会的、国際的な責任を自覚し、志を同じくする者、相集い、力を合わせ、青年としての英知と勇気と情熱をもって明るい社会を築きあげよう」というものであった。浜松では、すでに若手経済人の組織・遠州経済懇友会があったため組織の一本化が話し合われたが、それぞれの設立趣旨が異なるという理由から、共に協力し合って浜松の発展に貢献することになった。
 
【浜松クラブ】
 昭和二十七年七月には、各業界において第一線で活躍する経済人の社交の場として浜松クラブ(川上嘉市理事長)が発足した。このクラブの会員は商工会議所の会員であることが条件となっており、地域内の経営者の交流と懇親の場として設立され、今日も続いている。
 
【浜松青色申告会 浜松法人会】
 昭和二十八年には、地域内の商工業者への納税啓発と税制の研究を目的に浜松青色申告会と浜松法人会が、それぞれ発足した。青色申告会は所得税の自己申告制度の普及と教育に力を注いだ。法人会は事務所を商工会議所内に置き、税制度に関する研究会や経営指導等を行った(『浜松商工会議所百年史』)。