[中心商店街の繁栄]

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 朝鮮特需を背景に戦後の窮乏から抜け出し、経済も安定化してくると市民の消費マインドも高まり、それに伴い商業活動も活発化し始めた。浜松市の中心商店街である有楽街や鍛冶町では商店街の近代化が進められた。
 
【孔雀型ネオン塔 ネオン マルサ呉服店 浜松ショッピングセンター】
 昭和二十七年六月二十二日、有楽街の喫茶店「太陽」の前には地球儀型のネオン塔が設置され、さらに、二十八年九月十一日、有楽街の南入口には孔雀型の大ネオン塔が建設された。この孔雀型ネオン塔は当時のお金で百万円を投じたとのことで大評判になり、浜松の新名所として多くの市民が押し掛けた。また、昭和二十八年七月に鍛冶町通りにはネオンが輝くアーケードが完成し、商店街としての一体感を醸し出した。そのほか、連尺や田町の商店街においてもネオン灯が設置され、「二千六百円」と揶揄(やゆ)されたバラック商店街も新築の店舗に衣替えしていった。個人の商店で早い時期に近代的建築に替わったのは昭和三十年十月一日に連尺町に開店したマルサ呉服店である。図3-39のような鉄筋三階建ての新店舗はこれまで木造で一、二階建ての商店がほとんどであった浜松の町にひときわ異彩を放つものとなった。また、淡あずき色の近代色が目にまばゆい美しいビルは〝最近代的商店ビル〟と言われた。高度経済成長期以前で鉄筋三階建て以上の建物は〝高層建築物〟の範疇(ちゅう)に入っていて、市民の多くは三階建ての商店の誕生に驚きを隠せなかった。店舗の新築はビル建設ラッシュを生み、昭和三十二年十一月には田町商店街に不燃化高層建築として浜松ショッピングセンター(鉄筋三、四階建ての商店が連鎖している構造)が完成した。商店のビル化は鍛冶町商店街でも行われ、昭和三十六年に連鎖式防火建造物として建て替えられた。この時に鍛冶町通りの拡幅も同時に行われ、三十メートルの広さになり市内の目抜き通りとして一新した。そのほか、伝馬町や板屋町でも商店のビル化が進んだ。

図3-39 マルサ呉服店の広告