[オートメーション化による大量生産方式の導入]

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 戦後の産業都市浜松は加工組立工業(楽器、輸送機械など)を中心に発展してきた。この発展は大量生産方式の導入によってもたらされたと言える。この大量生産方式とは、作業を単純な工程に細分化し、この工程を機械体系によって、より早くより正確に消化する半自動的生産ラインを構築する方法である。
 
【日本楽器 大量生産化 オートメーション 大量生産方式】
 日本楽器の川上源一は欧米視察において、ヨーロッパではレンナー社の楽器工場を見学した。この工場は、ピアノのアクション部門を担当し、大量生産方式による生産を実現していた。この視察から川上源一は大量生産化の方向にいかなければ、輸出商品としての競争力はないことを痛感したのである。また、鈴木自動車工業の鈴木俊三はゼネラルモーターズの自動車組立工場を見学し、見事な流れ作業に感嘆した。かくして浜松の有力企業はオートメーション化による大量生産方式に取り組むことになった。戦後の復興期には楽器産業においても、輸送機械産業においても中小メーカーが乱立したものの、大量生産方式の導入によって、これらのメーカーは淘汰されるか、垂直分業関係へ組み込まれることになった。
 
【団体交渉制度 シーズニングの短縮 直線的ラインのコンベアー】
 日本楽器は、ピアノの大量生産化を推し進める上で幾つかの課題を解決しなければならなかった。第一に、労働者に侵害されない経営権の独立を確立することである。なぜなら、大量生産方式を導入するためには巨大な設備投資が必要であり、経営者の自由な投資決定が保障されることが必要であった。その保障と引き替えに賃金分配を利潤分配制による団体交渉制度を導入した。第二に、資本の回転率を早めるために木材の乾燥(シーズニング)の短縮が必要であった。ピアノの生産において木材の占める割合が極めて大きく、この木材の天然乾燥に長くて十年以上、短くても数年を要した。天然乾燥をさせた木材はさらに人工乾燥室に入れ、三カ月から一年放置して、含水量を少なくすることなどが求められた。そこで、日本楽器は、昭和三十一年五月、天竜工場に世界でも類を見ない木材乾燥室を新設し、オートメーション化された温度と送風の制御によって大幅に精度を向上させた結果、半日から四日間で乾燥できる乾燥方法を確立した。第三に、直線的ラインのコンベアーを作る上で解決しなければならない課題は、二十トン以上の弦の張力によって生じる木材の歪みの問題である。従来は、いったん仮組立をし、その上で各部品の歪みを調整するという方式を採っていた。この方式では、鋳造→塗装→貼込→調律といった全工程を直線的な流れ作業にすることは出来ない。そこで最初から部品の歪みを計算に入れて部品の生産を行うという方式を採り入れた。これにより仮組立をせず、直線的で連続的な組み立てラインを作ることが出来たのである。
 オートメーション化による大量生産方式の導入は、経営の効率化に寄与し、日本楽器の成長に画期的な役割を演じた。しかし、他方で、労働の細分化が進んだため熟練労働の意義が後退し、ピアノ全体を熟知する者が少なくなると同時に、楽器の工業製品化をもたらしたのである。