[急増する楽器生産]

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【楽器】
 戦後の復興のめどを付けた楽器産業は設備の増強と品質の向上に努めた。昭和二十五年当時十二社だった楽器メーカーは、三十年には二十四社、三十五年には四十四社までに増えている(表3-14)。昭和二十年代後半から三十年代前半期(昭和二十五年~三十一年)の各種楽器の生産量の動向を見ると、ピアノは約三・六倍、オルガンは約五・五倍に増えている。ただし、ハーモニカは二十五年をピークに逓減傾向となった(表3-15)。
 
【音楽教室 特約店 割賦販売方式】
 このような楽器の増産は小中学校で器楽教育が取り入れられることによる教育用需要と朝鮮特需の恩恵を受けた高所得層の需要に負うところが大きかった。しかし、昭和三十年代に入ると特需ブームの反動により売れ行きも頭打ちになっていった。この苦境を脱するために採られた方法が、音楽教室商法であった。ヤマハとカワイの音楽教室は昭和三十一年から始まったが、楽器を弾ける子どもたちを増やすことによって潜在需要の掘り起こしを狙ったものである。音楽教室は特約店方式や割賦販売方式と結び付くことによって楽器の販売量を拡大していった。
 
【河合楽器】
 河合楽器は昭和二十六年に株式会社に改組し、その後増資を続け、昭和三十年には資本金も一億五百万円とした。同年に逝去した河合小市に代わって二代目社長に就任した河合滋は新居町に八万二千五百平方メートルの広大な工業用地を取得し、木材工場の建設に着手(完成は三十二年四月)した。さらに、昭和三十一年には羽衣楽器を、三十三年には浜松楽器を系列下に置き、量産体制を確立して一大飛躍を成し遂げた。
 この時期(昭和二十年代後半~三十年代前半)の楽器生産の拡大は、日本楽器と河合楽器の二大メーカーの増産だけでなく、中小楽器メーカーの乱立によるものでもあった。楽器メーカーは昭和三十五年には四十四社に増え(表3-14))、中小の楽器メーカーの生産を支える楽器部品メーカーも八十一社に増加している(表3-16)。ここで、幾つかの中小楽器メーカーの動向を見ることにしよう。
 
表3-14 楽器製造業の動向
年次
(昭和)
会社数内個人
企業数
製造工場資本金合計
(万円)
従業員数
(人)
 総数 ピアノオルガンハーモニカ電子オルガンギターその他
24年188,2152,382
25年1211,018
28年2434931483,152
30年24361598470,1754,152
35年4445129101111317,52310,950
38年385532481011599,92717,577
46年191331235436843,84023,558
49年232381456436995,82523,425
出典:『遠州産業文化史』より作成

表3-15 浜松地域における主要楽器の生産動向
昭和22年23年24年25年26年27年28年29年30年31年
ピアノ(台)輸出50492322385437327
内需1149831,7173,1444,7155,6187,990
小計1141,0332,2093,4665,1006,0558,31710,4799,87312,634
オルガン(台)輸出1,1341,067949
内需12,28718,57523,056
小計2,4215,7307,88612,76513,42119,64224,00544,24041,09370,526
ハーモニカ(打)輸出16,00039,10171,814233,061147,177105,38870,246
内需46,500100,73975,97072,758102,38384,589111,738
小計62,500139,840147,784305,819249,560189,977181,984197,254184,977218,428
アコーディオン(個)2,9104,9104,3343,6574,3994,187
出典:『浜松発展史』、『浜松商工会議所六十年史』、『静岡銀行史』より作成

表3-16 楽器部品メーカーの動向
年次
(昭和)
会社数内個人
企業数
資本金合計平均資本金従業員数平均
従業員数
28年1111― 万円― 万円72人6.5人
30年75 80   40  139 20 
35年8149 5,771   180  2,504 31 
38年1216613,567   247  ― ― 
46年1161133,651   321   3,464 31 
49年1071839,398   443   2,719 26 
出典:『遠州産業文化史』より作成