大橋ピアノ研究所

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【大橋幡岩 オオハシ】
 株式会社大橋ピアノ研究所の創業者は大橋幡岩(はたいわ)で、日本楽器出身のピアノ技術者である。大橋は日楽争議によって山葉直吉が退職をすると同時に退職するが、請われて再び日本楽器の技師となり二十種のピアノの試作を行った。戦後、浜松楽器工業(株)の創立に参加し、ディアパソンブランドのピアノ設計・試作・製造に携わった。昭和三十三年には念願の大橋ピアノ研究所を設立、ブランド名・オオハシを製造した。アクション部品は河合楽器から独立した今出川ピアノアクション製造(株)から購入し、月産十二台程度を生産していた。また販売ルートは名古屋ピアノ調律センター、キネブチピアノ(東京)などであった。