鈴木式織機株式会社は、昭和二十九年六月、ダイヤモンド・フリー号やコレダ号の好成績を背景に、社名を鈴木自動車工業株式会社に変更した。明治四十二年(一九〇九)に鈴木式織機製作所を設立し、一台十八円余の足踏織機を発売して以来、総合織機メーカーとして成長してきた。しかし、昭和三十三年には繊維機械部門を独立採算制とし、さらに昭和三十六年にはこの部門を分離し、鈴木式織機株式会社を設立した。発足当時の鈴木自動車工業を支えたのは、初めての完成車であったコレダ号であった。コレダ号の名前は、『40年史』によると、「オートバイはこれだ!」から命名されたとのことである。コレダ号は当初4サイクルのエンジンを積んでいたが、昭和三十年のコレダST型から2サイクルエンジンとなり、以後鈴木自動車工業は2サイクルが主流になった。コレダ号は数々のオートレースで優勝し、耐久性と馬力のあるエンジンとして評価を確立していった。コレダ号の爆発的な売り上げにより、オートバイメーカーとしての地位を確立していった。このような成功の裏には、四十社以上の協力工場(下請工場)の存在があった(表3―17)。
【スズライト】
さらに鈴木自動車工業は軽自動車へも進出していった。昭和二十九年には軽自動車の研究に着手し、試作車を完成させた。昭和三十年には運輸省の型式認定を受け、同年十月日本初の軽自動車スズライトを発売した。この軽自動車は2サイクルエンジン360ccの四輪車で、日本初のFF(フロントエンジン、フロントドライブ)方式を採用するという画期的な車であった。
表3-17 鈴木自動車工業株式会社の協力工場(昭和30年当時)
出典:『静岡展望』第24号(昭和30年1月号)より作成
工場名 | 所在地 | 工場名 | 所在地 |
渥美鉄工所 | 浜松市海老塚町 | 高橋鋳造所 | 浜松市向宿町 |
渥美製作所 | 浜名郡雄踏町 | 太洋鋳造所 | 浜松市龍禅寺町 |
渥美工業KK | 浜松市高林町 | 戸塚鉄工所 | 浜松市龍禅寺町 |
旭屋工業KK | 浜名郡可美村 | 中島銅工店 | 浜名郡可美村 |
新居鉄工所 | 浜名郡新居町 | 永田鉄工所 | 豊橋市花田町 |
伊熊鉄工所 | 浜松市浅田町 | 日工産業KK | 豊橋市北島町 |
池谷鉄工所 | 浜名郡可美村 | 野中鍍金工業所 | 浜松市八幡町 |
植松鉄工所 | 浜松市北寺島町 | 浜協製作所 | 浜松市野口町 |
太田鉄工所 | 浜松市泉町 | 浜名製作所 | 浜名郡舞阪町 |
太田機械製作所 | 浜松市中島町 | 彦坂鉄工所 | 浜松市砂山町 |
大石鉄工所 | 浜松市新津町 | 疋田製作所 | 浜名郡新居町 |
小楠金属工業所 | 浜名郡篠原村 | 星川鉄工所 | 浜松市龍禅寺町 |
カネ辰鉄工所 | 浜松市東伊場町 | 三田鉄工所 | 浜名郡舞阪町 |
カネ宗鉄工所 | 浜名郡篠原村 | 丸鈴鋳造所 | 浜松市相生町 |
河口鉄工所 | 浜名郡入野村 | 水谷鉄工所 | 浜松市天神町 |
三信鉄工所 | 浜松市広沢町 | 明寿製作所 | 浜松市助信町 |
三和工業KK | 浜松市浅田町 | 山下市鉄工所 | 浜松市野口町 |
三弘鉄工所 | 浜名郡可美村 | 山下鉄工場 | 浜松市中島町 |
佐原鉄工所 | 浜名郡鷲津町 | 山下(喜)鉄工所 | 浜松市中島諏訪町 |
鈴長鉄工所 | 浜松市森田町 | 山崎鉄工所 | 豊橋市下地町 |
鈴正鉄工所 | 浜松市龍禅寺町 | 吉田鉄工所 | 浜松市元浜町 |
鈴木工業所 | 浜松市相生町 | 揚子工業KK | 浜松市楊子町 |
鈴木砲金所 | 浜松市龍禅寺町 | ワシズ製作所 | 浜名郡鷲津町 |
立石鉄工所 | 浜松市寺島町 |