[土地改良と圃場整備事業]

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【土地改良事業 土地改良区】
 農業生産の拡大にとって土地基盤整備は重要な意味を持つ。その施策として行われたのが土地改良事業の実施と土地改良区の設立であった。浜松市において、昭和三十年までに設立された土地改良区は五区(昭和三十五年以降さらに十二区)で、そのうち多くが東部・南部地域で設立された。
 
【浜松市東南部土地改良区】
 浜名郡五島村と河輪村は低湿地で、天竜川や芳川が洪水になると、自然排水が不可能となって湛水による被害が免れない地域であった。昭和二十六年三月にこの両地区が浜松市に合併されると、農民たちは土地改良の必要性を痛感し、二十九年九月に浜松市東南部土地改良区を設立した。これより先、静岡県は県営の灌漑排水事業を浜松市の東南部地区で始めた。これは、幹線排水路五千七百八十九メートルを整備、併せて区画整理も実施した。また、天竜川へは五島東河輪排水機場を、馬込川へは五島排水機場を設置して、自然排水が不可能の場合でも完全排水が出来るようにした。これらの事業は昭和二十八年度から同三十七年度まで実施された。この結果、受益面積は水田二百三十町七反、畑三百五十二町一反となり、米・甘藷・落花生の増産につながった。これ以降も県営以外での土地改良も行われ、農用地の利用増進と農業経営の安定化が図られた。
 
【浜松市西南部土地改良区】
 また、市の西南地域(新津地区、白羽町など)と可美村・篠原村(昭和二十七年十二月に浜松市西南部土地改良区を設立)では、雨が降らないと干ばつになり水田に亀裂が入った。逆に増水の場合は、排水が悪いため毎年水稲の苗や米が腐るという状態であった。そのため昭和二十五年から県営の用排水幹線改良事業が進められた。具体的には排水ポンプを設置し、排水路を設置し土地改良を行うという事業であった。これにより受益面積は九百二十四ヘクタールに及び、米、麦、甘藷、豆類などの増産が可能になった。