西遠のセルリー

685 ~ 686 / 900ページ
【清浄蔬菜栽培地】
 セルリーの栽培が浜名郡豊西村に初めて導入されたのは昭和十年代である。戦後になると、二十三年には神久呂村へ、二十四年から二十六年にかけては伊佐見村、三方原村へと産地が拡大していった。昭和二十五年の朝鮮戦争では米軍からの特需があり、それを契機に米軍から清浄蔬菜栽培地の指定を受けることになり、出荷販売促進のために豊西村出荷組合を作った。昭和二十七年ごろからはビニールハウスでの栽培が始まっている。