三方原のバレイショ

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【男爵 農林一号】
 三方原村にバレイショの栽培が導入されたのは大正の初期であるが、当初は北海道産の「男爵」と青森産の「三円」が栽培されていた。戦後になると「男爵」に次いで「農林一号」が栽培されるようになった。昭和二十五、六年までは個人出荷が主流で、バレイショをリヤカーに積んで浜松の市場まで持って行った。そのうち浜松だけでは売れ残るようになっていったため、昭和二十八年に三方原バレイショの共同販売が実施され、産地化の基礎が築かれた。その後、三方原台地の酸性の赤土と豊富な日照量で育った三方原バレイショは、きめ細やかな味で市場評価を高める結果となり、その後、三方原バレイショのブランド名を確立、日本一の折り紙を付けられるようになっていった。