[大規模ミカン園の開発]

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【滝沢 ミカン ミカン園 竹内猪熊 西遠柑橘開拓農業協同組合】
 引佐郡都田村は三ヶ日町と地形や地質が似ており、ミカン栽培に適していたようで、滝沢では明治初期に三重県から温州ミカンを導入したと言われている。その後、滝沢では山の南斜面を中心にミカンを栽培する農家が増えていった。三方原村のような平坦地ではミカン類の栽培は不利と言われていたが、防風や防寒、排水設備に留意すればむしろ傾斜地より管理が楽であることが分かり、大正後期の果樹栽培流行期に栽培する農家が出てきた。戦時中は食糧増産のために栽培面積は減少したが、戦後間もなくミカン栽培は復活、特に昭和三十二年ごろからは都田地区や三方原地区の山林や原野をブルドーザーによって大規模に開墾し、広大なミカン園が造成されていった。ブルドーザーによる開墾は人力開墾に比べ、一メートルぐらいまで深耕が出来ること、費用も安価なことで注目を集めた。昭和三十三年には三方原台地の北端に当たる都田町東原地区に、麁玉村宮口で織物工場を営む竹内猪熊がミカン園を造成、西遠柑橘開拓農業協同組合を組織し、さらに大規模な開発に乗り出した。このほか、湖東村や庄内村でもミカン園の開発が相次いだ。
 
【静岡県柑橘試験場西遠果樹分場】
 なお、昭和二十三年には、浜松市農業訓練所の跡地に静岡県柑橘試験場西遠果樹分場が完成し、西遠地方の柑橘についての試験や研究、技術指導に当たるとともに県内のカキ、ナシ、モモなどの果樹全般にわたる研究に取り組んだ。