[うなぎ養殖の発展]

691 ~ 691 / 900ページ
【養鰻業】
 昭和二十七年ごろになると食糧難も緩和し始め、それとともに浜名湖湖岸の養鰻業も軌道に乗り始めたものの、戦前の最盛期に比べるといまだその域には達していなかった。昭和二十八年には、戦前の約半数に及ぶ三百ヘクタールまで復活した。しかし、この年の台風十三号で湖岸の堤防の多くが決壊、また、うなぎの養殖池の冠水により二十数万貫のうなぎが流出し約五億円の被害を出した。戦前の浜名湖鰻復興の一歩手前まで来た養鰻業は壊滅的打撃を受けることになった。その後復興資金などを得ながら再建に取り組み、昭和三十一年ごろには元通りに復興し、三十五万貫の生産が可能になった。このころになると食糧事情も好転し国内需要も増加し始め、さらに、缶詰として海外への輸出も拡大していった。昭和三十五、六年ごろには戦前の水準に達した。