沼津─浜松間の電化工事がほぼ完了した昭和二十四年五月、国鉄電化委員会は新たに東海道本線浜松以西を含む主要幹線電化五カ年計画を運輸大臣に答申した。このころから浜松市や愛知・岐阜・滋賀県などは浜松─米原間の電化に向けて運動を始めていたが、昭和二十五年一月から関係八市町(浜松・豊橋・岡崎・名古屋・一宮・岐阜・大垣・米原)は一丸となって強力な運動を展開した。しかし、折からの緊縮財政と民需圧迫を理由とする連合国軍総司令部(GHQ)の反対のため、予算化は見合わせとなった。浜松以西の鉄道電化が開始されるのは、対日講和条約が調印された二十六年以降のことになる。
【浜松─名古屋間 電化完成】
昭和二十六年九月二十二日、東海道本線浜松─米原間の第一期工事が開始され、翌二十七年度から本格的な工事に入った。二十八年七月二十一日に浜松─名古屋間で電気機関車による旅客列車の運転が開始され、同年十一月十一日には浜松─稲沢間で貨物列車の電気運転を開始した。その後、東海道本線電化工事の進展により、三十年七月二十日に稲沢─米原間の電化が完成し、これに先立って七月七日には豊橋─大垣間に湘南電車の運転が開始された。そして昭和三十一年十一月十九日に電化は京都まで達して、ここに東海道本線は完全電化された。これにより特急・急行列車及び中距離通勤電車の増発と速度向上が図られることになる。