[継電連動装置の導入]

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 東海道本線全線電化のころ、特急「はと」など一部の特急を除く旅客列車とほとんどの貨車が停車する浜松駅は、一日延べ百八十本に及ぶ大量の列車をさばく必要があった。このため、客車用本線が上下二本、貨車用本線が上下各三本に加えて機関区線、浜松工場線等、合計約三十三キロメートルに及ぶ構内線はフルに活用された。しかし、この複雑極まりない構内線ポイントの切り替え作業は、東西に分かれた二つの信号所で人の手によって行われていた。
 
【継電連動装置】
 戦後になると、こうした構内作業における要員の合理化と保安の強化を目指して継電連動装置の導入が大きな駅を中心として進められた。これによって信号機、入換標識や転てつ機(ポイント)が一カ所に集中された制御盤上で電気的に、しかも短時間に操作することが可能となった。当時、この装置が使われていたのは、東海地域では米原駅と大垣駅くらいであった。浜松駅への導入はこれに次ぐもので、総工費約一億円、昭和三十一年末に着工し、三十三年一月二十八日に使用を開始した。

図3-42 継電連動装置