[佐久間線の建設と期成同盟会]

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【佐久間線】
 佐久間線(二俣─佐久間間、戦前からの経緯もあり遠信鉄道とも呼ばれていた)は、戦前に建設線となり工事が開始されたが、戦争のため中止に追い込まれていた。戦後間もない昭和二十一年十一月に、浜松市を中心に佐久間線の建設再開を目指して運動が開始された。とはいえ、この運動が大きな展開を見せるのは、二十六年十二月、国土総合開発法に基づいて天竜東三河地域が特定地域に指定されて以降のことである。
 
【天竜東三河総合開発計画 天竜川総合開発促進期成同盟会】
 昭和二十六年度以降、国の天竜東三河総合開発計画と、同法に基づく県総合開発計画により、多くの事業が実施されていくことになる。いずれの計画も佐久間ダム建設を中心とする電源開発、食糧増産、国土保全の各計画を内容とするものであった。これらの計画と県内で最も関係の深い浜松市では、二十六年八月に天竜川総合開発促進期成同盟会(会長岩崎市長)が発足し、佐久間ダム建設をはじめ河川改修、灌漑(かんがい)・工業用水確保、飯田線のダム建設に伴い水没する区間の県内迂回と佐久間線建設、道路改修、そして都市計画といった諸事業の早期実現を目指して運動を開始した。こうして同期成同盟会は二十一年以降進められてきた佐久間線建設促進運動を継承した。
 
【遠信鉄道促進期成同盟会】
 昭和二十七年十月に佐久間ダム・秋葉ダムの建設が決定されると、天竜川総合開発促進期成同盟会は、中心課題を①遠信鉄道の実現、②飯田線迂回線の静岡県側通過の実現、③開発主要幹線道路の整備・拡幅の実現等を目指して運動を展開することになった。またこれを契機に、浜松市議会は特別委員会を設置、北遠の各町村議会等と協力して遠信鉄道促進期成同盟会(会長徳田市議会議長)を結成して独自の運動を展開した。