[急行電車の運転]

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 パンタグラフの導入等によりスピードアップが実現し、昭和二十八年一月八日から急行電車の運転を開始した。この結果、旭町(のち新浜松)─西鹿島間の所要時間は五十二分から三十八分に十四分短縮された。利用者の増加とスピードアップの要望に応えて、二十九年二月五日からは上下八本の急行電車と小松─新浜松間往復二本の運転を開始した。
 
【新鋭車両の増備 納涼ビール電車】
 また昭和三十一年六月には、新鋭の大型車両が増備され、同月二十九日から新浜松─西鹿島間の急行運転を開始した。この車両は、モハ二一型、定員百十二人(座席数五十二)の全鋼製であった。内部は、蛍光灯照明で、車内通告はマイク放送となっていた。外装は、それまでの車両が小豆色であったのに対して、グリーンとクリーム色のツートンカラーとなった。なお、昭和三十一年八月には、この車両を利用して、納涼ビール電車が復活した。この電車は、新浜松駅を夕方の六時五十四分に出発、七時二十四分に西鹿島に到着、そこからバスで納涼亭に行き、天然ウナギ丼を食べ、十時に浜松に帰ることになっていた。会費は、運賃、ビール一本、おつまみ、ウナギ丼代合わせて三百九十円であった。
 昭和三十五年以降はさらに大型の車両がほぼ毎年のように増備されるようになる。

図3-45 新鋭車両による急行電車