表3-26 二俣電車線と奥山線の停留場新設・駅名変更・駅舎改築等
出典:『成人への足跡』遠州鉄道20年史より作成
年月日 | 二俣電車線 | 奥山線 |
昭和26年 4月 1日 | 北浜停留場新設 | |
8月 1日 | 繭市場前駅を遠州八幡駅と改称 | |
11月 1日 | 島之郷停留場を遠州曳馬停留場と改称 | |
27年 7月 5日 | 北田町、幸町、追分の三停留場新設 | |
10月 1日 | 豊岡停留場を新設 | |
28年 8月 1日 | 旭町駅を新浜松駅と改称 | |
10月 5日 | 遠州助信駅の駅舎新築 | |
12月15日 | 遠州馬込駅の駅舎新築 | |
29年10月 1日 | 岡地停留場の営業再開 | |
32年 9月15日 | 元城駅の駅舎竣工 | |
33年 6月 1日 | 遠鉄浜松駅が竣工 |
【経営の悪化】
車両や施設の近代化に多額の投資を行ったにもかかわらず、奥山線の輸送人員が頭打ち状態となった背景には、同路線が狭軌で輸送力にもスピードアップにも限界があったことが挙げられる。これに加えて、物価や人件費の増大もあり、これを運賃で十分補塡(ほてん)できなかったため、走れば走るほど赤字がかさむという状況が生まれていた。