[奥山線の転機]

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【併行バス路線の新設】
 これより前の昭和三十一年末には『静岡新聞』(昭和三十一年十二月十三日付)は、奥山線東田町駅の改造に触れる一方で、「西遠交通界にとつて劃期的事業」として、次のように報じた。
 
  遠鉄では現在の奥山線に併行してさらに地元利用者の利便のために気賀から奥山までバス路線の新設を企図、去る十月中旬新設バス路線の申請を当局に提出した。このバス路線は他業者に及ぼす実害もないので遅くも明春からは奥山半僧坊の門前まで…バスが乗り入れる姿が見られそうだ。
  これが実現の暁は奥山線軌道車(気動車)と併行して走ることになるが、利用度の実効があり、地元民がバス路線の活用を電車線(鉄道線)より有効なものと認めた時には、金指以遠の電車線(鉄道線)は自然消滅の形となつて軌道取り外しも考慮されている気配もみえる。
 
 
【都田口─奥山間の列車運転休止計画】
 この記事の通り、昭和三十二年四月十四日に気賀─奥山間のバス営業が開始された。そして、奥山線廃止は先のことになるが、特に乗降客の少ない都田口─奥山間の列車の運転を一時休止する計画を決定した
のは、三十三年十二月のことであった。