[市営バスの発展・充実期]

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 市営バスは、再スタート前後から路線の新設や延長を積極的に進めた。昭和二十七年十二月の市役所新庁舎の落成に伴い、市役所への連絡の便を図るため、昭和二十九年三月に、市役所北廻線と市役所南廻線の二路線の運行を開始したほか、町村合併による市域の拡大も手伝って、路線は毎年のように増加した。二十三年度に路線数五、車両数十八だったものが、二十九年度には路線数十六、車両数四十七に、さらに三十四年度には路線数二十三、車両数八十一へ増加した。年間乗客数も二十三年二百十八万人、二十九年八百八十四万人、そして三十四年には千六百三十六万人へと急増した。

図3-48 市営バス路線図
出典:『広報はままつ』昭和28年3月15日号

 
【車庫・事務所の和地山移転】
 このように事業規模の拡大と利用客の増加により、昭和二十年代末から三十年代にはバスの黄金時代を迎え、名実ともに市民の足として大きく発展した。こうしたなか、上池川町の車庫や事務所が手狭になったため、三十一年十二月二十六日に和地山町に車庫や事務所を建設、翌年一月二十五日に移転した。

図3-49 和地山車庫

 
【経営内容の悪化】
 しかし、路線バスの事業区域が市内に限定されていたこと、諸経費の増大にもかかわらず公共料金が抑制されたこと等により経営内容は年々悪化することになった。バスの発展・充実期さなかの昭和三十二年度から赤字が発生し(ただし、三十四年度は黒字)、以後、バス事業は巨額の累積赤字に苦しむことになる。