[国鉄バスの路線拡大と遠鉄バス]

710 ~ 710 / 900ページ
【国鉄バス】
 国鉄バスは、懸案であった西天竜線(熊─阿多古─浜松間、熊─渋川間)と遠三線(宮口─渋川─三河大野間)を結ぶバス路線の認可を受け、昭和三十年十二月十五日から運行を開始した。バスは、浜松─三河大野間を一日三往復、浜松─熊間を渋川経由で二往復、阿多古経由で一往復した。
 これにより宮口─三河大野間は、従来、豊橋経由で三時間を要したが、二時間弱で結ばれることになった。
 
【遠鉄バス 佐久間ダムへの定期バス】
 遠鉄バスは、北遠については、昭和二十一年に水窪線を国鉄に譲渡したとはいえ、旧阿多古自動車(二俣─熊間)などの路線を順次再開していった。さらに、昭和二十七年十二月には二俣─浦川間、三十年十二月には浜松─渋川温泉前間にバスの運行を開始した。また、三十三年十一月には、浦川─佐久間間及び中部駅口─佐久間ダム間のバス運行を開始して、浜松から観光地として脚光を浴びるようになった佐久間ダムへの定期バスの運行(佐久間へは一日二往復、うちダムまでは一往復)が可能となった。
 また、浜松─豊橋間には国鉄バスと遠鉄バスが相互乗り入れしていたが、国道一号線の舗装の進展により、昭和三十四年九月から国鉄と遠鉄の快速バスが運行されることになった。これにより浜松─豊橋間は七十分で結ばれ、国鉄の列車より十分から二十分遅いだけになった。