[三十六メートル道路の驚き]

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 街路計画のうちでも伝馬池川線(通称市役所前通り)と旭上島(旭八幡)線(通称広小路)などは、それまで浜松市民が経験したことのない三十六メートル道路(伝馬池川線は当初は幅員五十メートル)として計画された。特に伝馬池川線は、伝馬─連尺間が国道一号線と重複する路線であるとともに、元城町で東田町追分線と交差する道路で、昭和二十七年にはこの交差点北西に市役所が移転することが予定されていた。交差する東田町追分線は幅員二十五メートルが計画されており、市役所周辺は、浜松駅周辺を商業中心地とすれば、まさに行政の中心地となるものであった。
 
【市役所前大通りの完成】
 昭和二十六年秋には、伝馬池川線と東田町追分線沿線の家屋の移転がほぼ終わり、拡幅・整地工事の後、東田町追分線(千二百二十七メートル)は二十八年度から三十年度までの三年間、伝馬池川線(二千五十一メートル)は二十九年度と三十四年度に、保安隊(二十九年七月以降自衛隊)建設部隊の協力も一部仰いで、それぞれ計画された舗装を完了した。なお、伝馬池川線で最後まで整備が遅れていた連尺交差点付近も昭和三十四年に家屋の移転が終わり、これで伝馬町から下池川町に抜ける市役所前通りは全線三十六メートルに広げられた。完成した三十六メートル道路は、歩道と軽車両・自動車道を分離し、街路灯を持ち、当時としては画期的なものであった。