[増える交通事故と信号機]

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 交通事故発生件数は、自動車の増加と道路整備の遅れなどを背景として、戦後一貫して増勢をたどった。特に昭和二十八年ごろから増加傾向を強め、三十二年からさらに増加の勢いを増した。特に浜松中央警察署と浜松東警察署管内の交通事故発生件数は三十三年の九百九件から三十四年には一挙に二千二百三十三件へ約二・五倍という急増ぶりを示した。この勢いは止まらず、三十六年には発生件数三千四百六十七件となり、死者は百人を突破した。交通事故の発生数や死者の人口に対する割合においては全国的に見て非常に高いものであった。
 
表3-29 浜松市と静岡県の交通事故発生件数・死者数・負傷者数
浜松市静岡県下
発生件数死者数負傷者数発生件数死者数負傷者数
昭和28年365162932,5631812,091
  29年32582862,9772132,466
  30年441243922,5272252,326
  31年484414892,8282162,841
  32年748437534,0093113,892
  33年909519185,4803305,664
  34年2,233851,6596,8844706,352
出典:『浜松市勢要覧』各年、『浜松市統計』各年、『静岡新聞』、『静岡県警察史』下巻より作成
注:浜松市の昭和29年は『静岡新聞』昭和29年10月23日付、31年は『静岡新聞』昭和32年5月15日付による。

 
【交通取り締まりの強化】
 昭和二十八年五月三十日付『静岡新聞』は「浜松市内に発生した交通事故は本年一月一日から五月十五日までに百十二件に達し昨年一カ年間の百二件を半年も経たぬ間にオーバー」したと報じた。こうした事故の頻発に対して浜松市公安委員会は道路交通取締法を強化して、同年七月一日から速力制限(時速三十二キロ)道路、駐車禁止路線などを決めて取り締まることになった。これにより有楽街、千歳町、浜松座通り、鍛冶町大通りなどは自動車を駐車することが出来なくなった。
 
【交通標識信号機】
 また、昭和三十年には県から交通モデル地区に指定され、六カ月間警察活動の重点を交通警察に置いて事故防止に努めることになり、浜松地区交通事故防止対策協議会も結成された。また、交通標識や信号機の設置も進められた。特に信号機については、二十八年暮れの松菱前を皮切りに、三十三年末までに広小路角、伝馬町角、旅籠町角、市役所前、元浜町角、田町の四つ角の七カ所に設置され、県下では一番信号機の多い都市となった。
 
【交通事故の原因】
 しかし、既述のように事故件数は減少するどころか増加傾向を強めていった。『浜松市勢要覧』(昭和三十年版)によれば、交通事故の原因は、一旦停車徐行違反(九十九件)、前方注視不十分(六十件)、追越し不適当(四十九件)、無免許運転(二十九件)、泥酔運転・踏切停車不履行(各二十件)の順であった。また、『静岡新聞』(昭和三十三年十一月九日付)によれば、県下で交通事故を起こした自動車のうち、最も多いものは小型貨物自動車、次が軽自動車(このころはスクーターやオートバイなど)、三番目は普通貨物自動車であった。事故を起こした運転手の年齢別では、二十代の若者がいずれも圧倒的に多いことが明らかにされた。