市内を流れる馬込川・新川などに架かる橋は昭和二十五年には六百十八、そのうち永久橋(石またはコンクリート)は全体の五十三%を占めていたが、永久橋の九十五%は十メートル未満の橋であった。永久橋は橋の延長が長くなるほど少なくなり、十メートル以上三十メートル未満の橋は四十四のうち十五、三十メートル以上百メートル未満の橋は二十のうち一という状態であった。
【十メートル以上の橋の鉄筋コンクリート化】
周辺町村の合併により橋の数は一千以上増えて、昭和三十年には千六百二十六となり、永久橋は五十二%に低下、永久橋のうち十メートル未満のものが全体の九十八%を占めるまでになった。十メートル以上の鉄筋コンクリート化はほとんど進んでいなかった。合併により、それまで市内に存在しなかった百メートル以上の橋が四に増えたが、いずれも木橋であった。既述のように街路計画に基づいて市内道路の改修・舗装が進む中で、十メートル未満の橋の鉄筋コンクリート化は進んだが、それ以上の橋は後回しにされた状態であった。十メートル以上の橋の鉄筋コンクリート化が進むのは昭和三十年代に入ってからで、三十四年には市内の橋の数は二千百三となっていたが、十メートル以上三十メートル未満では七十四のうち二十四、三十メートル以上百メートル未満では五十四のうち十三、百メートル以上では五のうち一が鉄筋コンクリート橋となった。
【掛塚橋】
なお、天竜川に架かる日本一長い木橋の掛塚橋は、延長八百七十六メートル、幅員三メートルで昭和二十四年十二月二十八日に破損した部分の補修を終えて落成式を挙行、自動車の通行が可能となった。しかし、間もなく関係市町村から県道浜松掛塚線(二十八年五月から二級国道)の道路改修及び舗装と並行して鉄筋コンクリート橋に架け替える要望が出された。この結果、二十八年三月十八日に掛塚橋の起工式が行われ、三十年三月三日に延長八百七十七メートル、幅員六メートルの永久橋として完成をみた。ただし、その後十五年間は有料橋として運用された。
表3-30 浜松市内の形態別橋梁の推移
出典:『浜松市勢要覧』各年より作成
年月 | 永久橋 | 木橋 | 混合橋 | 合計 | 延長別永久橋の比率 | |||
100m以上 | 30m- 100m未満 | 10m- 30m未満 | 10m未満 | |||||
26年 | 328 | 290 | - | 618 | - | 1/20 | 15/44 | 312/554 |
27年 3月 | 328 | 290 | - | 618 | - | 1/20 | 15/44 | 312/554 |
28年10月 | 328 | 290 | - | 618 | - | 1/20 | 15/44 | 312/554 |
29年 9月 | 786 | 695 | - | 1481 | 0/4 | 1/31 | 16/62 | 769/1384 |
30年 3月 | 841 | 785 | - | 1626 | 0/4 | 2/41 | 16/65 | 823/1516 |
31年 | - | - | - | - | - | - | - | - |
32年 3月 | - | - | - | 1632 | - | - | - | - |
33年12月 | 1217 | 883 | 2 | 2102 | 1/5 | 13/54 | 21/74 | 1182/1969 |
34年12月 | 1222 | 879 | 2 | 2103 | 1/5 | 13/54 | 24/74 | 1184/1970 |
図3-56 木製の掛塚橋と鉄筋コンクリートの新掛塚橋