自動車交通の発展は、市内道路の拡幅・舗装、橋梁の鉄筋コンクリート化の遅れのほかに、新たな道路上の問題をもクローズアップさせることになった。そのうち主なものは国道一号線の市内通過問題と幹線道路の東海道本線との平面交差問題などであった。国道一号線は東西を結ぶ幹線であるため交通量が多く、それが浜松の中心部を貫通することは交通渋滞や交通事故の大きな原因となっていた。
【平田踏切 森田踏切】
また、東海道本線との平面交差により、市が南北に分断され、鍛冶町、北寺島町の両地下道、森田、海老塚、平田(なめだ)、掛塚街道、向宿など多くの踏切によってつながれるのみであった。地下道は豪雨に見舞われると交通不能となり、南北中心街を結ぶ平田踏切や一号線が交差する森田踏切は、昭和二十年代末には遮断時間が一日八時間に及ぶ状態であった。
【成子こ線橋】
森田踏切問題は、東海道線をまたぐ成子こ線橋(成子町─森田町間)の建設が昭和三十一年に開始され、約四年半の歳月をかけて三十六年四月二十四日に開通することによって解決した。平田踏切は昭和三十一年十一月に拡幅されるものの渋滞は依然として解消せず、東海道本線の南北交通問題の解決は、東海道本線の高架化まで待たねばならなかった。