海上輸送の拠点としての港を持つことは、その後背地における輸出産業の振興や工場誘致にとって極めて重要であると考えられてきた。そのため、浜名港をはじめ、天竜川河口(掛塚港)、馬込川河口などにおける本格的な築港の可能性について様々な調査が繰り返された。また、豊橋港=浜名湖=浜松を結ぶという豊浜運河も構想された。天然の良港に恵まれなかった浜松で再三にわたって築港構想が盛り上がりをみせた背景には、当時、国内初の内陸掘り込み式港湾として計画されていた苫小牧港というモデルがあったと考えられる。しかし、掘り込み式の浜松港は、後述するようについに実現することはなかった。