[浜松―東京間の手動即時通話]

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 浜松電話局の自動化は実現したが、長距離電話の不便さは従来とあまり変わらなかった。例えば東京とは、依然として普通扱いで三時間半、急行扱いで四十分、特急でも二十分を要するという状態であった。こうした不便が解消されるのは、同軸ケーブルやマイクロウェーブで東京・大阪・名古屋間と結ばれて以降のことである。すなわち、浜松─東京間の手動即時通話が実現するのは昭和三十三年十一月九日、浜松─静岡間、浜松─焼津間が三十四年三月十五日、そして名古屋・大阪とは遅れて三十五年四月十七日であった。長距離で初めて自動即時(ダイヤル即時)通話になったのは浜松―豊橋間で、昭和三十二年十二月八日であった。