【ラジオ静岡】
終戦の年、NHK浜松放送局管内のラジオの普及率は四十三%であった。これが民間放送が開始された昭和二十六年になると七十一%を超え、ラジオは急速に普及し、家庭での娯楽の大きな部分を占めるようになった。子どもたちは「三太物語」(昭和二十五年~)、「笛吹童子」(同二十八年~)などに熱中し、大人は「二十の扉」(同二十一年~)、「君の名は」(同二十七年~)などをよく聴いていた。ラジオの普及率の最高は三十三年で九十一・三%を記録した。浜松の民間ラジオ放送は静岡放送(呼称はラジオ静岡)浜松送信所の完成により、昭和二十九年十二月一日から開始された。