テレビ

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【プロレス中継】
 一方、テレビは昭和二十八年にNHKと日本テレビが放送を開始したが、浜松ではまだ鮮明に見ることは不可能だった。二十九年八月二十二日にNHK名古屋放送局で増力された電波が高いテレビ塔から発射されると、浜松でも鮮明な映像が受信できる(『新編史料編五』 六交通 史料68)ことが分かり、一部の人たちは高いアンテナを立ててテレビを楽しんだ。しかし、多くの人々は電器店の店先で好きな番組を見るようになった。プロレス中継などの人気番組が始まると、店先は黒山の人だかりとなり、バスやタクシーが動かなくなる有り様で、九月十日に市内の三署(中央・北・東)は市内五十二軒のラジオ商に対し厳重警告を発した(『新編史料編五』 七社会 史料42)。三十一年十二月の『遠州新聞』の広告欄には十四インチのテレビが八万一千円とあり、当時の大卒の小学校教員の初任給(月給)が八千円から九千円であったことから考えるとあまりにも高価であり、十回の月賦販売の制度もあった。当初はテレビを購入した商店や工場、裕福な家庭に近所の人たちが集まり、野球や相撲、プロレス、ドラマなどの視聴を楽しんだ。なお、浜松でのテレビの本格的な普及はNHK浜松放送局でテレビ放送が開始された昭和三十四年十二月一日以降である。ちなみに、昭和三十四年のテレビ普及率は十二・一%であった。