[朝鮮特需と不況期の雇用]

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【朝鮮戦争特需】
 朝鮮戦争特需は浜松の繊維産業を中心に空前の活況をもたらした。昭和二十六年(一九五一)二月、浜松公共職業安定所では新規中卒者のうち、女子は求職の二倍の求人があり、男子は七割であった。同年十一月には女子は求職者が求人の半数にも満たず、男子は求人数の三倍近い応募があるなど、差があった。糸へんの繊維業界、金へんの機械器具工業、木へんの木材加工業にその傾向が見られた。当時は女子工員を求める綿織物業界が景気の牽引車であった。
 ところが、昭和二十六年七月に朝鮮戦争の休戦会談が始まり、戦闘は徐々に小康状態になった。これにより、二十七年三月には紡績会社の四割操業短縮が行われ、多くの関連産業で人員整理が行われるなど、一転して不況となった。その結果、浜松職業安定所管内では、同年五月の失業者は四月より六十四%増加し、前年同期より約千人増えた。しかし、一方では原動機付自転車を発売した本田技研工業は、来年三月の求人として中卒男子五十五名、同女子二十名、高卒男子四十五名、同女子十五名、短大卒三名、大卒十二名という大量求人であった(『新編史料編五』 七社会 史料84)。今まで女子に比べて求人の少なかった男子が多かったので世間で話題となった。また、高卒と短大・大卒の求人数が中卒の求人数とほぼ拮抗している点で、より高度な技能が求められていることがうかがえる。