[まだあった女工哀史事件]

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【女工哀史 集団脱走 織屋地獄 深夜作業 全繊同盟 労基法違反】
 昭和二十八年は繊維業界の景気が回復し、中卒者への求人が男女とも増えたが、同年九月二回にわたって入野村の織布工場から四十人と十三人が集団脱走する事件が起こった。初めの事件は粗末な食事、強制的なお稽古、低賃金などが原因で外出ストとなり、四十人が集団脱寮したもの、後のものは午前二時から午後二時までと午後二時から午前二時まで二交代で深夜十二時間労働、休日は月に二回、賃金は最高六年の経験工でも月に五千円、そして粗末な食事などが原因で、十三人が集団脱走した。新聞の見出しには「こゝにも織屋地獄 またもや織姫集団脱寮」と記されていた(『静岡新聞』昭和二十八年十月一日付)。翌月、浜松労基署は浜松市南部、浜名郡可美村・入野村の百四十八の織布工場を臨検し、女子年少者に深夜作業をさせていた十工場を摘発した。また、昭和三十二年三月、十二時間の強制労働に反発して女子工員八人が脱走する事件が小沢渡町でも発生した。翌月全繊同盟は遠州地方の織物工場で労基法違反の摘発活動を行い、五日間で二十五件を摘発した。戦後復興をほぼ成し遂げ、中小工場の女子工員の待遇改善が進んだ段階でも、労基法違反の労働環境が組合のない零細企業では起こっていたのである。