[春闘と統一メーデー]

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【春闘 静岡県春闘共闘会議】
 昭和三十年になると総評は春季賃上げ闘争を全国各地で立ち上げ、以後、春闘と呼ばれる賃金引き上げのための闘争が行われることになった。初めは民間の単産のみであったが、翌三十一年からは官公庁の労組も加わって本格的な春闘が始まった。静岡県労働組合評議会(県評)は昭和三十年から春闘を始めたが、本格的な春闘は官公労も参加した三十一年からで、静岡県春闘共闘会議をつくってこれに臨んだ。二月十八日に開かれた春季賃上げ・生活防衛静岡県総決起大会に掲げられたスローガンは十二あったが、初めの二つは「県下全労働者、一斉に賃上げに立ち上がろう」「誰もが食える、八千円の最低賃金制を確立しよう」だった。以後、毎年のように春闘が行われるようになった(『静岡県労働運動史』)。
 
【統一メーデー】
 浜松地方の労働組合は遠労傘下の組合とこれに対立する全繊同盟を主体とする全労静岡系の組合、中立労連系の組合にそれぞれ分かれていた。労働者の祭典・メーデーはこれまで分裂メーデーであったが、統一メーデーは昭和三十一年になって行われた。この年は全繊同盟傘下の組合も参加したので、女子も目立ち、和やかなメーデーとなった。三十二年も前年同様の統一メーデーとなり、五十八単産、約二万人の労働者が鴨江観音境内に集い、労働者の基本的権利を守る、中小企業に資金と貿易の途を開け、軍事基地拡張反対などのスローガンを採択し、市中をデモ行進した(『新編史料編五』 七社会 史料94)。

図3-60 統一メーデー