新生活運動

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【浜松市婦人連盟】
 市内各町と周辺の町村の婦人会では、生活改善のための様々な活動を展開していたが、新生活運動が全国的に始まったことを受けて、静岡県婦人団体連絡会は昭和二十七年から明るい社会、楽しい家庭づくり運動を提唱していった。浜松市婦人連盟でも同年九月に左記のような申合せを決めて会員にその実践を呼び掛けた(静岡県婦人団体連絡会『20年のあゆみ』)。
 
 
 新生活運動の申合せ
 
一、冠婚葬祭の簡素化
い.結納は目録だけにしませう
ろ.婚礼の衣裳は借衣裳を用いませう
は.披露宴は会費で出来るだけ簡素にすませませう
に.子供の祝は一切婚家族とも出来るだけ簡素にすませませう
ほ.全快祝を全廃しませう
へ.香奠返し盆義理返しを廃しませう
 
二.生活の合理化
い.台所を明るく働きよく工夫しませう
ろ.主婦の時間を生み出しませう(読書、修養、趣味のために)
 
三.その他
い.右側を通行しませう
ろ.子供を道路で遊ばせぬようにしませう
は.青少年不良化防止に協力しませう
に.無駄を省いて貯金をしませう
ほ.青年会との合同懇談会を持ちませう
へ.政治に関する認識を深めませう
と.良い講演会には努めて出席しませう
 
 昭和二十七年九月十五日 浜松市婦人連盟
 
【生活改善運動】
 この申合せでも分かるように、冠婚葬祭と台所の改善を中心とした生活改善運動を含みつつも社会人としての眼を開き、視野を広げる活動を行っていった。
 
【静岡県新生活婦人大会】
 静岡県教育委員会は新生活運動の一環として、県婦連と共催で昭和二十八年三月に第一回静岡県新生活婦人大会を開催し、さらに、同年七月から主婦のための共同学習の場として、新生活学校の教室を県内各地で開催していった。昭和二十八年度の五地区の一つとして選ばれたのは浜名郡飯田村であった。教室主任には地域の婦人会長がなり、運営は婦人会を中心とした運営委員会が自主的に行っていた。
 
【静岡県新生活運動連絡会】
 昭和三十年九月になると鳩山内閣も新生活運動を本格化したが、静岡県では同三十一年五月に県婦人団体連絡会・静岡県郷土をよくする会・静岡県青年団連絡協議会・静岡県公民館連絡協議会・静岡県子供会世話人連盟の五団体で静岡県新生活運動連絡会を結成した。この会は『県民だより』に「祝辞は簡単にしましよう」「集会のあとかたづけは参加者でやろう」「乗りものに乗るエチケツトを身につけよう」「時間を大切にしよう」「よい歌をうたおう」の呼び掛けを行い、県民の実践を促した。新生活運動はこれまでの各地の婦人会を中心とした運動から町ぐるみ、県ぐるみの総合的なものになっていった。これによって婦人会の様々な取り組みの多くが新生活運動の枠組みの中でとらえられるようになっていくことが表3-34によって確認できる。
 
表3-34 浜松市付近の婦人会の活動
年度生活改善・保健のための活動福祉施設の慰問等の奉仕活動教養を高める事業、社会参加
26年度[台所と冠婚葬祭等改善]全快祝全廃。嫁入後費用は全て婚家負担。[保健所] 浜松保健所受胎調節指導。[慰問]浜名寮・養老院・母子寮・海老塚保育園・長岡寮湯の家。[奉仕]陛下行幸奉送迎。[寄付]市内小中学校へ植樹献納。[講演]近藤鶴代、奥むめお講演。[運動]国旗掲揚。配給米県農協課陳情。[見学]浜松牛乳[行事] 慰霊祭に招待される。浜松まつり準備委員会参加。[青少年]防犯を警察・小中学校と連絡。
27年度[台所と冠婚葬祭等改善]「私の生活改善について」研究発表(年2回)。「迷信打破、衣類の工夫について」研究発表。 結婚簡素化運動。新生活運動。歳末廉売会。正月用品販売。[保健所] 子供の病気と応急手当。優良児検査。産児制限指導映画。医師を囲み寄生虫の話と映画。虫下し配布と検便。[慰問] 箱根診療所・長岡福祉寮・浜松母子寮・舘山寺福音寮・弁天島母子寮・三方原学園・浜名寮等。[奉仕]年よりの日に最年長者に杖進呈。福引。成人式に赤飯奉仕。農繁期託児所併設。[寄付]浜松乳児院建設資金廃品回収。日赤募金。市立図書館への図書献本運動。歳末慰問資金のためのアメリカ中古衣料販売(松菱の協力を得る)。[募金]県婦人連絡会の県婦人会館建設資金募金。浜松婦人会館建設資金募金。[講演]静大工学部長。青少年問題講演、夏期大学で近藤鶴代。[楽しみ]レクレーション・映画会。[見学]ビニール工場。子ども会。[青少年] 少年防犯運動。[子ども]躾け方で小学校の先生を迎え座談会。[運動]米の統制撤廃反対、電力料金値上げ反対、法務省減刑署名。
28年度[生活] 料理講習会。[慰問]慈照園、巣鴨刑務所戦犯。 [奉仕]中国ソ連引揚者帰還者接待。皇居勤労奉仕。[義援金]九州災害義援金。[教養]「村八分」映画会。
29年度[新生活運動] 新生活学校浜松教室開校、新生活西部婦人大会。[慰問]箱根療養所・仏教会母子寮・小沢渡母子寮・救護所慈悲庵。[奉仕]中国引揚者接待、未帰還者家族慰安会。[教養]勤労婦人講座。
30年度[新生活運動]時間厳守、生活改善(結婚弊風打破宣伝、婚礼衣装新調し貸出す)。新生活学校浜松教室開校。[保健]環境衛生(消毒剤散布で蠅・蚊撲滅)。[政治教育]講演会・討論会・座談会。[奨学資金]戦没者遺族、傷疾家族の高校生。[運動]働く年少者のための図書寄贈運動。
31年度[新生活運動]指導者講習、「新生活運動の申合せ事項」印刷物配布、婚礼衣装2組新調、7組貸出し。新生活学校浜松教室開校。新生活西部婦人大会。[慰問]老人の日慰問(仏教養護院)、箱根療養所患者慰問。[運動]希望配給米の価格について県に要望。[見学]新生活学校修了式を兼ねてオートレース場と自衛隊見学。
32年度[新生活運動]新生活のための衣服計画、新生活学校浜松教室開校。県西部新生活婦人大会。[運動]環境美化、親切運動、花いっぱい運動。[見学]オートレース場・自衛隊。
33年度[新生活運動] 新生活学校浜松教室開校。新生活学校で体操祭を行う。生活改善運動、食品衛生環境衛生。[慰問]市内各所。[義援金]伊豆地方大災害の見舞金、救援物資。[不良化防止]座談会、対策講演。[調査]オートレース調査。[慰安]会員慰安映画会。[運動]売春問題、原水爆禁止問題。貯蓄推進運動、花いっぱい運動。
出典:『手をとりあって』浜松市婦人連盟史より作成

 
【浜名郡庄内村婦人会村櫛支部】
 新生活運動協会の最初の府県委託事業として県婦連の新生活学校が選ばれ、その一つとして昭和三十年に浜名郡庄内村婦人会村櫛支部が指定された。村櫛支部は生活慣習の改善に取り組み、ひな祭りや節句の共同祝賀など生活行事の簡素化などを行った。なお、村櫛村当時は昭和二十二年の村会議員選挙に女性が二名、同二十六年の選挙でも女性一名が当選している。これも村櫛での女性の活動が活発であったことを物語っていると言えよう。
 
【婦人会 婦人学級】
 婦人の学習の場はこれ以外にも市内の各小学校区内に戦後間もなく婦人会が主体となって母親学級、婦人学級、婦人学園という様々な名称で誕生した。浜松市では昭和三十年に教育委員会主催の婦人学級を小学校区単位に設置した。それらの活動内容については第三節教育 第六項を参照されたい。