[婦人会服]

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【武藤衣料株式会社 トッパー】
 昭和二十九年、浜松市に画期的な婦人会服が誕生した。きっかけは佐藤町婦人会から同町に縫製工場を置いていた武藤衣料株式会社への婦人会服の見本作製依頼であった。当初、依頼のあったものは戦前のものとよく似た文化コートであったが、購入希望者が多かったため、他地区の婦人会にも購入を呼び掛けた。そのうち元城校区の婦人会役員から「丈の長い紺色の文化コートは戦時中の国防婦人服を思い出させるから良くない。もう少し垢抜けた色にし、丈も短くして、トッパーのように簡単に羽織れるものにしてほしい」との要望が寄せられた。これを受けて浜松市婦人連盟の理事を務めていた社長夫人の武藤欣子が試作を重ね、ついにギャバジンで身丈が腰までの婦人用半コートの婦人会服・トッパーを作製した。色は鉄グリーンであった。これが県内の婦人会で続々採用されるようになり、「トツパーを制服にしてから会合への出席率が良くなった」、「会合で発言する者が多くなった」という声が会社に寄せられるようになった。トッパーをまとえば内に何を着ようが人の目に触れないので、着る物から解放され、それによって会合への出席率が高まっていったのである。

図3-61 トッパーを着て民謡を踊る婦人会員

 
【カタログ通信販売 直接販売方式】
 武藤衣料のトッパーは全国的に大ヒット商品となり、会社は大きく成長し、その後もカタログ通信販売の先駆者となった。この婦人会服トッパーの全国普及の背景には、国を挙げての新生活運動で冗費節約、生活合理化の動きが全国各地で展開されていたこと、さらにその動きを機敏にとらえ、卸販売方式から地域婦人会への直接販売方式に切り換えた会社の経営戦略があった。各地の婦人会役員を工場見学と浜名湖遊覧に招待し、「衣料改善の意味で妥当な製品であるとお考えでしたら、会員の方々に是非ご紹介して頂きたい」と訴えていった。これら新生活運動の趣旨と関連付けたセールスは功を奏して全国的な普及につながったのである(『ムトウ40年の歩み』)。