[講和成立後の婦人会]

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【浜松市婦人連盟 皇居の清掃奉仕 国旗掲揚運動】
 占領下の昭和二十二年三月、浜松市婦人連盟理事で、浅間校区の婦人会初代会長の斉木ゑいは、真っ白い割ぽう着にもんぺのいでたちの女子青年団員二十名を引率して皇居の清掃奉仕に出掛けた。また、市の婦人連盟は昭和二十三年に国立浜松病院で傷痍軍人の食事の世話や演芸隊による慰問を行うなど、様々な活動を繰り広げてきた。昭和二十六年九月八日に対日講和条約が調印されると、浜松市婦人連盟は同月三十日に国旗掲揚運動を行い、十一月には天皇陛下関西方面行幸時に浜松駅で八名が奉送迎をしている。また、昭和二十八年六月から七月にかけて五つの学区の婦人会員二百七十五名が各四日間にわたって皇居の勤労奉仕に出掛けた。同年十月には巣鴨刑務所に収監されていた戦犯を慰問するなど、講和前と比べて〝独立〟を意識した活動も組み入れた。

図3-62 皇居清掃奉仕団