[農協婦人部の発足と農村婦人の問題点]

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 戦前の農業会に代わって昭和二十三年に市(地区)町村に農業協同組合が設立された。この農協に婦人部がつくられ、さらに郡、県に婦人連盟がつくられることとなった。そして、昭和二十四年十一月二日に静岡県農村婦人連盟が結成された。農村の婦人にとっては各地の農協婦人部が活躍の舞台の一つとなった。
 
【浜名・浜松農協婦人部大会】
 昭和三十二年三月十四日、浜名・浜松農協婦人部大会で、「家庭を明るくする意見発表会」が開催され、多くの婦人が嫁・姑問題で意見を発表した。嫁の立場からは、飯田地区の婦人が、「何故私は親達からこうみじめに扱われるものかと思いましたが、すべて勘(堪)忍する事が一家を丸くおさめるもとだと思いました。それには言葉つかいに気をつけなければならない」と語った。そして、姑には「打ちとけて話しの出来る理解ある態度、嫁に自分の時間を与えて、生活の勉強させてほしい、集会や用事などにこころよく外出させてほしい」という要望を語った。河輪地区の婦人は、この地区の嫁の意見の第一は「嫁の時間を与えてほしい」ということとし、「休養の時間も勉強の時間もなく、ゆっくりするときもなく家事に追われ続けるのでは何の進歩もない、これでは生活改善も夢だ」と述べた。庄内地区の婦人は、新生活学級で姑、嫁、夫の三グループで話し合った十項目の結論を発表した。それは、①本当の親子と思ってくらしたい。②嫁は双方のよい点をとり婚家のしきたりに従っていただきたい。③気持よく返事をしていただきたい。④夫大事も結構だが、家内大事と考えていただきたい。⑤お互いにかくし事せずに打ちとけたい。⑥孫の世話は祖母にさせていただきたい。⑦休養したいときは母に話してもらいたい。⑧もらい物、ほしいものを買ったときは話してもらいたい。⑨そのお礼をいえるようにしてもらいたい。⑩夫婦の部屋に入っても部屋を通じて軽く話し合えるようにしてもらいたい。
 これらは、大家族での同居が通例であった時代の農村での姑、嫁、夫の意見を集約したものとして興味深い(『遠州新聞』昭和三十二年三月十七日付)。
 なお、昭和三十年代の初期には婦人グループとして地域の婦人会とそれらを束ねた浜松市婦人連盟(三十一年度の会員数は二万九千九百八十名)があり、農村部には農協婦人部、さらに、浜松市母子の会(未亡人会)、浜松友の会、浜松ユネスコ協会婦人部、浜松カトリック教会や日本基督教団浜松教会などの婦人会、各労組の婦人部などがあり、多様な活動を展開していた(『東海展望』昭和三十一年三月一日発行)。