[子ども会]

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【子ども会】
 昭和二十年代後半になってユニークな少年自治会・子ども会が生まれている。昭和二十七年十一月に発足した名残町第二部会少年自治会の最大の特徴は「町内自治会、青年会と対等で町内のことを審議決議することが出来る」という点である。祭りだけでなく、いろいろな事業においても町内の民主主義を育てていこうとする試みであったと考えられる。駅南の北寺島町に生まれた浜松仲良し子供会は、そのリーダーが児童福祉の専門教育を受け、県や市の福祉事務所に勤務していた青年であった。彼らの活動に婦人会や女子青年団、学校の教師も加わり、人形芝居、紙芝居、歌や幻灯、フォークダンスなどが活発に行われ出した。昭和二十九年七月に行われた七夕パーティには幼児から中学生まで約三百名が参加し、キャンプファイアーやフォークダンスを楽しんだ。北寺島町の子供会の運営では、指導者の青年の創意や子どもたちの自発性を大切にする試みが多数実践されたことは興味深い。
 
【浜松市子供会世話人連合会 浜松市こども会芸能大会】
 浜松市の子供会は昭和三十年の時点で六十余あり、これらを束ねた浜松市子供会世話人連合会が同年四月に結成された。そして、子供会同士横の連絡を保ち共に仲良くしていこうと三十一年三月二十九日に第一回の浜松市こども会芸能大会を開催した。この大会には市内の二十余の子供会が参加し、舞踊、唱歌、人形劇などを熱演し、審査員もどれを上位にするか迷うほどであったという(『遠州新聞』昭和三十一年三月三十日付)。
 
【二葉会 飯尾哲爾】
 浜松市高林町には大正時代から寺院を中心に発達した二葉会という子供会があった。町民のほとんどがこの子供会の卒業生で、子どもたちのためになんとかしたいと昭和三十年ごろに夜警小屋を改造して小さな図書館をつくった。自治会長は戦前の二葉会の指導者で子どもたちのための文化活動をしていた飯尾哲爾、彼は町内の青年団、子供会、農協などあらゆる団体をまとめて模範的な町づくりをしており、子どもたちのための日本一小さな図書館もその一環であった。