【ボーイスカウト 木全大孝 内田時世】
ボーイスカウト運動は一九〇七年(明治四十年)に英国で誕生し、日本には大正期に導入された。戦後、県下各地でボーイスカウト運動が活発となったが、浜松はボーイスカウトを持たない数少ない市となっていた。そこで、青少年教育に関心の強かった大巌寺の木全大孝がボーイスカウトの結成に乗り出し、昭和二十九年六月から準備を始め、同年九月十一日に県居小学校の校区を中心に浜松第一隊を結成した(『新編史料編五』 七社会 史料133)。その後、三十年に東伊場町に第二隊、東洋紡績浜松工場従業員子弟の浜松第三隊、同三十一年に中心部の多くの町を対象とした第四隊が出来た。第四隊の結成に努力したのは医師の内田時世、彼は「青少年に協調性と努力心そして信頼心をいだかせるにはやはりボーイスカウト運動を通してやることが堅実でもあり、手取り早い」(『東海展望』昭和三十一年八月号)と考え、この運動に取り組んでいた。
【内田嘉一 ガールスカウト】
昭和三十年四月には、大巌寺の木全大孝夫妻と内田嘉一によって浜松市にもガールスカウトが誕生、静岡第十二団と静岡第十三団の二団が発足した。同年には第十四団と第十六団、三十三年には第二十四団ができ、ボーイスカウト同様、キャンプ・救急法・手旗信号などの訓練や各地での奉仕活動、各種募金活動など幅広い活動を行った。この後、ボーイスカウトは世界ジャンボリーに、ガールスカウトも県内外の各種大会に参加するようになっていく。