【国立浜松病院】
戦前の浜松陸軍病院が昭和二十年十二月一日に厚生省に移管され、国立浜松病院となった。しかし、同二十七年四月二日の新聞報道によると、厚生省において静岡県下六都市にある国立病院の国営存続問題が起きていることに対して、県側はその存続を強硬に主張しているようである。国立浜松病院の場合、昭和二十八年三月十八日付の『静岡新聞』の報道によると結核療養所へ転換することによって存続することになった。昭和二十八年四月一日からその名称は国立療養所浜松病院となり、この転換によって入院費が二割引、完全給食、完全看護となり、療養費は四割程度安くなると報じた。なお、『浜松市医師会史』には訓令によって百九十床が設営されたとある。
後に昭和三十三年二月二十日付『静岡新聞』の記事では、病院の浜松市移管問題が発生した時、病院側から反対意見五カ条が述べられている。その一つに患者負担の療養費の安さがある。医療費に対して年間一千万円の国庫補助があり、完全看護に対して年間八百万円から九百万円の国家負担があることが論拠である。市民病院になるとそれが患者側の負担増になると説明し、浜松市移管反対の根拠とした。後述(市民病院建設問題の項)のようにこの病院の浜松市移管案は消滅した。
なお、昭和三十六年四月には再度、名称変更があり国立浜松病院になった。同三十七年六月時点で総合病院としての病床数は二百九十床という(『広報はままつ』)。