【浜松鉄道病院 静岡と浜松の二つの鉄道病院】
原則的には一般市民に開放されている病院とは言えないが、企業内診療所の代表例としては浜松鉄道病院がある。この前身は浜松東診療所(市内砂山町)と浜松西診療所(国鉄浜松工場内)である。静岡鉄道管理局管内の浜松地区には国鉄浜松工場を有し、この現業部門と事務職員、およびその家族数を合計すると一万八千人に上り、両診療所では一日に三、四百人の患者に対応していた。しかもここには入院施設がないので、浜松地区での鉄道病院建設が望まれていたのである。国鉄浜松工場の『五十年史』(昭和三十七年十一月刊)によれば、昭和二十五年八月の機構改革によって静岡鉄道管理局が誕生し、本庁の方針として一局一病院が貫徹され、すでに静岡鉄道病院が建設されていたために浜松病院実現は頓挫した。他方、市の都市計画により病院建設予定地の一部が市有地と交換されるなど、建設見通しはつかなくなっていたが、職員の十年余の熱意が結実して浜松鉄道病院が建設された。これにより静岡鉄道管理局管内には、静岡と浜松の二つの鉄道病院が設営されたことになる。
昭和三十三年十二月二十七日付『静岡新聞』には、念願の浜松鉄道病院の建設が昨年二月以来、市内海老塚町で進捗し、翌三十四年一月、完工式と開院式とを執行することが記載されている。これにより従来の東診療所は閉鎖し、西診療所は浜松鉄道病院浜松工場分室とすることになった。診療科目は『五十年史』には内科・外科・眼科・耳鼻咽喉科・歯科の五科(三十六年六月から小児科も開設)、病床は四十床で開始され、大小二つの手術室、保健管理室、材料室、消毒室、薬局などすべて中央化方式が採用された近代的医療施設であると記している。
国鉄浜松工場機関紙『はままつ』の昭和三十八年二月号によれば、鉄道病院が新幹線道床工事地点に相当し、解体撤去されるために、浅田町の丹羽織物会社跡に仮病院を建設し、二月九日から外来患者のみの診療を行うことになり、この十カ月後には東伊場町のグランドホテル浜松の南側に新築移転するとある。また、右機関紙(昭和三十九年四月号)には、同年三月二日から浜松鉄道病院の診療が開始されたことを報じている。診療科目は内科・外科・小児科・眼科・耳鼻咽喉科・歯科・産婦人科である。