【結核予防特別市】
先述のように昭和二十四年十月、浜松市は結核予防特別市に指定されて、市当局は五カ年計画で結核死亡率半減を目指した。市内各町を国立浜松病院・浜松赤十字病院・遠州病院に割り当てて運動を展開したのである。
昭和二十六年三月三十一日には結核予防法が制定(改正)され、国民の定期健康診断、BCG予防接種、医師の届出、患者の登録と指導、知事による入所命令、家屋消毒などが規定されている。これにより市民生活に関与するのは保健所であり、結核予防対策の中心的機関となった。
ただし、この結核予防法(改正)では結核医療費の公費負担制度は確立されたが、患者の生活援助に対しては考慮されていなかった。患者発生の生活環境から見ると問題点が残された。
他方、『広報はままつ』(昭和二十七年十一月十五日号)には、浜松市立病院に結核療養所が昭和二十七年七月に設立されたことが報ぜられている。その記事中には結核患者九百五人の届出があり、潜在的患者も入れると千人余と推測し、同二十四年以後の結核死亡者数を伝えている。また、広報の使命として患者の入院要件を述べている。さらに同二十八年には社会保険浜松診療所(昭和三十一年六月、浜松社会保険病院と改称)でも結核検診が開始されている。
このような取り組みによって昭和三十二年一月三十一日現在の浜松地域では、結核病床を有する病院(病床数)は、国立療養所浜松病院(二百六十)、国立療養所天竜荘(八百四十)、浜松市立病院(七十三)、聖隷病院(二百五十五)、浜松赤十字病院(百六十五)、引佐赤十字病院(四十)、遠州病院(五十一)という状況である(土屋重朗『静岡県医療衛生史』四九四頁)。