[化学療法の普及]

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【化学療法】
 戦後の化学療法の出現については既述(第二章)の通りであるが、大気・安静・栄養の三要素に依拠していた戦前の治療法は過去のものとなり、それに代わる化学療法の出現によって結核は画期的な治療効果を上げることになった。また、既述のように麻酔学の格段の進歩が外科療法を進展させたのである。さらに、昭和二十六年の結核予防法の改正に伴い、化学療法による結核治療費の公費負担制度が確立したことが、化学療法の普及を支えた。公費負担件数を増大させた反面では、人工気胸・人工気腹という外科的治療法を減少させている(土屋前掲書、四九三頁)。昭和二十四年、三方原の聖隷病院では外科手術棟を完成させ、外科的療法の全盛期を迎えたが、同三十五年ごろから化学療法が進展し、外科手術例は減少する。そのため聖隷病院や国立療養所浜松病院は結核サナトリウムから地域の中核病院へと転換していくことになる。
 
【消毒と患者隔離】
 しかしながら、化学的・外科的療法が発達しても、消毒と患者隔離とは結核予防の前提であることには変わりはない。結核を地上から根絶できていない現実がある。