『広報はままつ』の昭和三十三年七月二十一日号では、伝染病の防疫対策・環境問題・食品衛生運動についての市当局のキャンペーンが敗戦以来の行政的総括を踏まえてなされている。「衛生面ではノミ、蚊、ハエ等の多い事では県下各都市の中でも」屈指であるといい、浜松へ転勤してきた国家公務員が、聞きしに勝る実態に驚いた旨を述べている。これについて『広報はままつ』では、その原因が「戦災後、下水やゴミ箱が整備されないまま不規則な建築がおこなわれ」た結果、害虫の発生源があり、「市内を流れるドブや川がきたないからです」と指摘する。その上で、「一番のもとは市のいままでの害虫防除への努力が足りなかつたからです」と自己批判の総括を記している。つまり、「護美箱」という命名の下にその設置と斡旋(あっせん)の広報活動はなされてきた(昭和二十九年三月十五日号・同年七月十五日号・三十二年六月五日号)が、根元的には戦後以来の都市計画の遅れを自覚しているのである。
【環境衛生モデル地区】
浜松市が、環境行政の一環として早くから着手したのは、環境衛生改善運動の模範地区を環境衛生モデル地区として指定したことである。その周辺地区への波及効果を期待したものであろう。昭和三十二年には米津町中舟地区、同三十五年には名残町北・市野町東・吉野町・大久保町・小沢渡町・豊町上・有玉南町川原本村・西ヶ崎町上・米津町中舟の九地区、同三十六年には大久保町・豊町上・吉野町・有玉南町川原本村・米津町中舟・西ヶ崎町上・小沢渡町・市野町東・西伊場町官舎・古人見の十地区である(『広報はままつ』では新規・継続の区別と各町の世帯数と代表者名が記されている)。
【食中毒】
食品衛生を管轄とする保健所の業務は夏期の伝染病発生に備えることのみではない。食にかかわる安心安全を掲げ、年間を通して四六時中、各種の食品製造業者や生鮮食料品の取扱業者への強力な指導、無表示食品の追放を掲げて市内小売店や鉄道弘済会などの売店、あるいは土産物店、飲食店や屋台への臨検など、経営者には厳しい目を向けている。さらに市民生活に密着した側面では、行楽シーズンを控えた食品管理、学校バザーでの販売食品の衛生管理、家庭生活における手洗い実行の喚起、子どもの生活にとけ込む駄菓子屋の衛生問題などなど、絶えず機能を果たしているのである。時には、『静岡新聞』紙上で「非衛生では県下一 食中毒頻発の浜松地方」(昭和三十一年十一月十八日付)や、「浜松保健所食品衛生検出結果」に基づいて「これでは困る」(昭和三十四年七月十八日付)と報じられている状況があるからである。